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【読みくらす人のための本の話】
今ひとたびの武田百合子

いつも、何度でも繰り返し味わう出来事、言葉、夢……

武田百合子

『富士日記』((上・中・下)(中公文庫 初版1981年刊)ページ数:上/480ページ 中/504ページ 下/488ページ各933円(税別)

「私、その方の著書は、すべて読んでます。もっと言うと、その方について誰かが何かを書いているものも、ほぼ、すべて読んでます」と小鼻をふくらませて言ってしまう作家(多くの場合故人)が、何人かいる。
ある時、最初の一冊に打ちのめされ、宝の山を見つけたような気持ちになって著作を次から次へと読み、そのどれもに驚いたり、胸が締めつけられたり、笑ったりして数ヶ月…。
そして、もうその作家の既刊本をすべて読んでしまった、となると、今度はその方について書かれたものを読みあさり、雑誌で特集など組まれるといそいそと買いに走り、あぁ、なぜ、この人はもっと書いていてくれなかったんだろう!と嘆息する。
私にとって、武田百合子は、そんな作家のひとりだ。

■『富士日記』

『富士日記』(上)(中)(下)は、武田百合子が、昭和39年から51年の間、富士山の別荘と東京を行き来しながら、夫、武田泰淳(作家)と、娘の花さん(写真家、上巻では小学生)との日々のいろいろを書き綴った家族の記録だ(一部、泰淳や花の文章も)。
私がこの「日記文学の奇蹟」と出合ったのは、30歳代半ばの頃。
幸運なタイミングだったと思う。
もし10代であれば、この日記を「超面白い、おばさんの奮闘記」と読んだかもしれず、20代であれば、綿密に描かれている「昭和の風景」の方に目が行ってしまったのではなかろうか(どちらにしても味わい深いことだが)。

誰でも30も半ばを過ぎる頃から、それまで想像していた人生の悲哀がいろんな形で徐々に「具体的」になってくる。
私は、武田百合子が『富士日記』を書き始めた(昭和39年、作家は39歳)年齢に近づきつつある年齢で作品と出合い、そこに実に具体的に、正確に、すみずみまで描かれている悲喜こもごもに惹きつけられ感服し、大げさでなく一生ことあるごとに読み返す下地ができたと思う。

よく名作や名画について語るとき「読む(見る)度に新しい発見がある」という言い方をされるが、武田百合子作品はそれとは少し違う。
言うなれば、志ん生落語の名調子のようなもので、最初から最後まで素晴らしいが、とくに好きな箇所にさしかかる時は、その前段から「来るぞ、来るぞ」という期待があり、いよいよその箇所となると、心の中で拍手…。
そうして読み返しては、「もう百合子さんの新しい文章と相見えることはない、でも『富士日記』があるからいいや」と諦めて10数年を過ごしてきたのだった。

■『あの頃』

というわけで、今年3月、武田百合子 単行本未収録エッセイ集『あの頃』が出たと知って少し驚き、とても嬉しかった。
また新著に触れられるとは!

『あの頃』は、永年の出版社からの求めに応じて、娘の花さんが監修・編集している。
花さんによると、生前、百合子さんは随筆が単行本となって世に出る際には初稿に何度も手を入れたそうで、その取り組み方を見ていたからこそ、故人となった母上の新著の刊行には慎重になっていたそうだ。
「でも、時が経つにつれ、いつかは本になるのなら、まだ私の体や頭がしっかりしているうちに一冊にまとめておこう」と思うようになったと「編者あとがき」にある。
そうして、今ひとたび、私たちの前に差し出されたエッセイ100余編は、やはりどれも切実で瑞々しい。

実は、雑誌の連載の仕事で武田花さんにお世話になっていた時期があった。
その時はまだ、私は百合子作品は未読で、むしろ文豪、武田泰淳の娘さん、という印象が強かった。
花さんが撮って書く、すごみとユーモアの効いた写真と文章はとても良くて、さすがは…!と驚嘆しながらも、お会いすると双方猫のことばかり話していたような気がする。
それも幸運だった、それで良かった、と思う。
もし、百合子作品に感服した後に花さんに出会っていたら、私は興奮して、何を言い出したか分からないから…。

武田百合子

『あの頃』(中央公論新社 2017年刊)ページ数:536ページ 2,800円(税別)

 

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