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【Living on Reading 読み暮らす人のための本の話】
世界はパーソナルに、軽やかに動いている

本を棚に並べている時、つくづく、文学ってグローバルになってきたなぁ、と思う。

インド特集

左『ファミリー・ライフ』(新潮クレスト・ブックス 2018年刊)アキール・シャルマ著 小野正嗣訳 ページ数:214ページ 1,800円(税別)
中央『停電の夜に』新潮クレスト・ブックス 2000年刊)ページ数:268ページ 1,900円(税別)
右『停電の夜に』(新潮文庫 2003年刊)ジュンパ・ラヒリ著 小川高義訳 ページ数:328ページ 590円(税別)

今でも、大学では学部は英文学とか英米文学とか、仏文、独文、国文とかに学科が分かれているのだろうけれど、日独バイリンガルで執筆している多和田葉子を、「日本」の棚に置くのはちょっと違う気がする。須賀敦子作品も、ウンベルト・サバ、ナタリア・ギンズブルグ、アントニオ・タブッキと並べて「イタリア」の棚に置いているのだし……。

■『ファミリー・ライフ』

そんなことを考えながら、現在開催中の展示『南インド キッチンの旅』のために特集した本を眺めてみる。
さて、インド生まれのアキール・シャルマは、何文学?

アキール・シャルマは1971年生まれ。8歳で家族とともにデリーから米国に移住しニュージャージー州で育った。
『ファミリー・ライフ』は、シャルマの自伝的要素の濃い長編で、デリーから渡米し、ニューヨーク、クイーンズで始まった家族四人(両親、兄と)の生活を下地に、ある日、兄が遭った事故と、その後の長い年月をていねいに、淡々と描いている。

主人公の賢い少年は、少年よりももっともっと優秀で賢かった兄を襲った運命と併走しながら、頼りになるはずの両親の(とりわけ父の)悲しみ、もろさ、強さ、激しさ、そして愛情を、見つめ噛みしめ、受け入れていく。
両親は長男の回復のためにあらゆる努力をする。最新の医療、代替療法、祈祷、施設を探し、自宅も改装し、補償を求めて訴訟を起こす。そうしていくうちに父はアルコール依存に陥り、傷ついた家庭にさらに暗い影を落とし、家族の心は荒れていく。

自失した父、怒鳴る母を避けて、自室に逃げ込む主人公の少年……。
中学生になり「作家になること」を計画した少年は、まずは参考書としてヘミングウェイを読む。

「二階の自分の部屋に上がり、机でヘミングウェイを読んだ。
ヘミングウェイはアル中だったし、彼の登場人物たちもしばしば大酒飲みだった。けれど、彼らの飲酒には真実味がなかった。何も問題が生じないからだ。漫画の登場人物たちが崖から落ちても怪我ひとつしないのと似ていた。
ヘミングウェイの嘘を見つけたことで、自分が彼よりも優れている気がした。そしてこのちょっとした優越感は怒りと軽蔑へと変わり、怒りは心地よかった」──。
少年の分析には彼の悲しみと冷静さ、鋭さが光る。

本書『ファミリー・ライフ』では、しばしばヘミングウェイが手を抜いた「人物、事物を描ききる」という現代文学の本質がまっとうされていて、エンディングもさすがの余韻だ。

アキール・シャルマは、ハーバード大学のロースクールを卒業し、投資銀行で若くして成功を収めた後、作家となった。
ヨーロッパ、インドでもファンを獲得しているシャルマ。現在の拠点はニューヨークだが、国際的な投資のキャリアがありヒンディー語も解するとなれば、将来、彼からどんな文学世界が差し出されても不思議ではない。

■『停電の夜に』

さらに、同じくインド系のジュンパ・ラヒリはどうだろう?

ラヒリは1967年ロンドン生まれ。両親はカルカッタ出身のベンガル人で、ラヒリが幼い頃、一家は英国から米国ロードアイランド州に移住した。
彼女の小説にもあるように、一家は家ではベンガル語、外では英語を話し、家族はベンガルの文化、考え方、暮らし方をベースにアメリカ式の合理的な事物をミックスして、生活の基礎を丁寧に作り上げたようだ。

短編集『停電の夜に』の全編随所で語られるセリフのちょっとしたひと言の結びつきから、インド移民の各階層にある現実が浮かび上がる。
インドでのカースト、人生における学歴の意味、家族制度や個人の役割についての考え方、食べ物から推察できるアメリカ文化への違和感や共感度、宗教や信仰への依存度など……。

表題作『停電の夜に』では、アッパーミドルクラスの、ちょっと甘やかされて、また十分にアメリカナイズされて育ったお嬢さんが、それでもインド風に親が選んだ相手と結婚したことから勃発する夫婦ゲンカ、我慢くらべ、妥協的やりとりがほろ苦く描かれる。
二人のバックグラウンドならではの展開が異国情緒たっぷりで味わい深いが、引き込まれる理由は、たいていのカップルに発生する “同族の他者との軋轢”が描かれていてユーモラスだからだと思う。

表題作のほか、アメリカから見た1970年代のインド・パキスタン戦争を描いた『ヒルサダさんが食事に来たころ』、インド人の視点でインド系アメリカ人の里帰りを評した『病気の通訳』、インド系ビジネスエリートとの不倫の恋に結着をつけるイギリス人OLの爽やかな打ち明け話、『セクシー』……本当に、どれも素晴らしい。

そして、この短編集の白眉はなんと言っても最終章の『三度目で最後の大陸』だろう。

頼りになるのは学問だけ、身体ひとつでボストンにやってきた青年が下宿先の老婦人を通して、アメリカ人とアメリカ社会になじんでいく姿の回想が清々しい。
彼との結婚のために、たったひとりでインドからやってきた妻を語る言葉も、語られる妻のふるまいも、質実のみ(つまり、まったく余裕がない)で、すべてが遠い思い出、のんびりした語り口なのに、読んでいて手に汗握る。

9編に描かれる、内戦、一家離散、移民、不倫、帰化──同じ経験どころか、似た経験すらないのに痛いほど身につまされるのは、どの物語にも、人生の真理(ままならなさ)が正直に描かれているからだろう。

一体、これはアメリカ文学と言えるのかしら? インド文学か、英文学か?
しかも、現在、ジュンパ・ラヒリはローマ在住、少し前に出たエッセイ集『べつの言葉で』はイタリア語で執筆している。

ほかにも、アメリカで作家デビューしたチママンダ・ンゴズィ・アディーチェなどもアメリカ文学とは言い切れないと思う。そもそもアディーチェの母国ナイジェリアはイギリス英語だし、彼女は現在ナイジェリア在住。アフリカ文学の担い手であることは間違いない。
ひるがえって、南ア出身のクッツェーをアフリカ文学と考える人は、いないだろうぁ……。
もっと複雑なのは、最近の南米文学だろうなぁ、エドゥアルド・ハルフォンなんて、レバノンとユダヤのハイブリッドで、グアテマラ出身、アメリカで作家デビューして、話題作は『ポーランドのボクサー』……これは何語で書いたのだっけ?

書棚にある背表紙を眺めているだけで、本当に楽しい。
世界は、パーソナルな単位で軽やかに動いている、そんな気がしてくるのだ。

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