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【Living on Reading 読み暮らす人のための本の話】
なぜアートが心に響くのか?

ただ楽しむためだけの鑑賞が、私たちを遠くまで連れて行ってくれる理由

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左/『前立腺歌日記』四元康祐著(講談社 2018年)1850円(税別)ページ数:288ページ。
右/『哲学散歩』木田元著(文春文庫 2017年)600円(税別)ページ数:224ページ

私たちは音楽を聴いて気分が高揚し、絵画や小説の中に引き込まれ、映画のエンドロールを見ながら余韻に浸る。人は心温まる幸福感にあふれた作品に感動する一方で、何とも切ない結末の物語や、底なしの暗さを湛えた絵画、幸福感とは正反対の表現にさえ心揺さぶられ、時にその作品との出会いが人生を支える大きな力になることさえある。

美しいものを認知し、その感動を全身に行きわたらせるプロセス。今やそれは心理学や精神医学、生理学などの分野を横断して科学的に解明されようとしている。
意識の世界をひもとくとは、まるで自分の身体の中に潜り込み、そこに星々がきらめく宇宙を発見するかのようなロマンチックさだ──そんなことを、最近、心理学の本を読みふけりつつ考えていたら、アッと驚くような一節に出会った。意外なことに、詩人、四元康祐著『前立腺歌日記』の中で。

■アートの何が私たちに働きかけるのか?

『前立腺歌日記』は、執筆当時ミュンヘン在住だった四元さんが癌を告知され、手術に続いて放射線治療を受けた予後に触れながら日常の大小さまざまな出来事を淡々とかつ鮮やかに綴った随筆で、MBA(経営学修士号)を持ちビジネスの世界に身を置いてきた詩人ならではの詩や、短歌の引用、ヨーロッパの風物の描かれ方も魅力の一冊。
そして、私がアッと驚いたのは作品後半部分、詩人が放射線治療を受けながら過ごす冬休み、元旦の「読書始めの儀」の箇所だ。彼が新年の読書始めに選んだのは、ロジャー・ペンローズ(数学・理論物理学者)と、スチュアート・ハメロフ(麻酔医)という科学者の著作『統合された客観収縮理論』。この本の中で物理学者のペンローズは人間の「意識」について、
「意識とは見えないし重さもない。ニュートン的古典力学の世界には属さないが確かに存在する。なぜ存在しうるかというと、それは意識が量子力学の領域に属しているからではないか」と見立てている。

ところで、昨今話題になっているこの量子力学。ミクロの世界ではひとつのものにふたつの存在の可能性があるという「重ね合わせ」の性質(0か1ではなく、0でもあり1でもある)が確認され、例えば光などは「波」と「粒子」両方の性質を合わせ持つことが立証されている。「重ね合わせ」の性質の不思議な点は、人が「見ている」か「見ていない」かによって結果が変わるという点だ(*)。

ペンローズ博士は、素粒子は原子核の中では「粒」であると同時に「波」であり、誰かに見られない限り複数の可能性の存在を持ちうる「重ね合わせ」の性質を帯びているということに触れ、
「意識とは、原子核の中の素粒子運動に宿っているのではないか」と推測する。

それを受けて、麻酔医として麻酔が身体的な運動を維持させたまま意識だけを消し去るメカニズムについて研究してきたハメロフ博士は、
「麻酔を施した時、麻酔薬の分子は脳のニューロンの樹状突起にある微小管にあるチューブリンというタンパク質の隙間にはまり込む。その隙間にこそ意識の源があると考えられる。脳内細胞の微小管は、極小にして無数の『生態量子コンピューター』で、そこでは外部からの刺激が『重なり合って』保管され、その密度が一定を超えたとき、情報が統合され『意識が発生』する」と言う。
そして、(ここからが大事!)
「この理論によれば、万物に『意識のつぼみ』はある。なぜなら、あらゆる物体は絶えず波動関数の自己収縮を起こしているからだ。このボールペンも、花にも、雲にも、カナダという国にも。宇宙空間そのものが『原始的な意識』で満たされている。人間のような生物には微小管があるため、薄い意識を統合し濃くして意味を得られるのだ」と言うのだ。

なんと! 理論としては最小単位が粒子である万物に意識のつぼみがある!
私は、四元さんの手術後の大変な状況への同情からパッと離れ、この科学的アニミズム解説にすっかり嬉しくなってしまった。
万物に意識のつぼみ──つまり語る能力が潜在しているのなら、絵画の存在そのものから呼びかけられることもあろうかと思えるし、文字の連なりが物語を超越した別の個性を帯びてメッセージを発信することも想像できてしまうではないか……。

■アートに感応する私たちとは、どういう存在なのか?

実は、詩人の随筆を読んで麻酔医と物理学者が語る「意識のつぼみ」に驚いていた時、たまたま木田元(哲学者)著『哲学散歩』も楽しく読んでいた(こちらは移動中に読む用の文庫)。

この文庫の裏カバーには「古代ギリシャ哲学から現代思想まで、代表的な哲学者の思想とエピソードを自身の体験と交えながら分かりやすく紹介」とある。
確かに「分かりやすく」はあるが相当集中力のいる盛りだくさんな内容だ。でも、第二次大戦終戦時に17歳、ヤミ屋までやりながら糊口をしのぎ苦労の中で哲学を修めた木田先生の大らかかつ読者に親身な文章からは、これ以上簡単には書けなかったことも伝わってきて、分からない箇所は何度も読み返す甲斐がある(何度も読めば分かるので)。

全24編、どこから読んでも面白いが、白眉は木田先生がエルンスト・マッハ(1838-1916年)を追慕した一編「マッハを想う」だろう。

「珍しく真面目なことを考えながら」渋谷の坂道を歩いている先生。その時先生が考えていたのは、オーストリアの天才物理学者で哲学者、心理学者でもあったマッハのこと。科学の境界を取り払った「統一科学」を構想して成果を上げていたにもかかわらず、ロシア革命を成功させたレーニンによって構想の息の根を止められてしまったマッハの無念について考えていたのだった(渋谷を歩きながら……!)。そして、坂を下りきったところで、アッと驚いて飛び上がりそうなことが起きた、というお話だ。一体何が……?

この話は展開を追って読むと普通の随想なのだけれど、俯瞰すると怪談のような趣がある。背景には「想念の粒子は時空を超えてあるべき時にあるべき場所に届く」という法則がありそうだが、もちろんそうは書かれていない。でも先生が学問を究める中で想念の共時性(分析心理学)や時空間移動(量子力学)の可能性も視野に入れていたことが伝わってきて、じんわりと興奮する。

人間は想念の総体で、想念の粒子は私たちの卑小な意図からは解放され、宇宙の法則に従って完全な星座を描いている──そう考えることは、今はまだ夢想に近いとしてもさほど見当はずれなことでもないと思える。とくに、不穏な世の中にあって、ただ楽しむためだけにミュンヘンの詩人の日常を覗き、哲学者と一緒に渋谷を歩いて、図らずも「なぜアートが心に響くのか」という日頃の疑問に量子力学で迫った日には……。(W.H.)

(*)「重ね合わせ」の性質は、例えば光に見られる。光は「波」と「粒子」の性質を重ね持っていて、光線を二つ穴の空いたスリットを通してスクリーンに照射すると、穴を通り抜けた「粒子」がスクリーンにぶつかった点々模様が見られる場合と、二つの穴からそれぞれ「波」の波紋が広がり、スクリーンにはふたつの波が干渉し合った波形(中央部分が濃い縦縞)が描かれる場合があることが実験で立証されている。ここで重要なのは、実験を観測していると光は「粒子」としてふるまい、観測していないと「波」としてふるまう点。見ている、見ていない、ということが結果に影響を与える原因は不明だが、重ね合わせの理論は立証されているので、その性質を利用して量子コンピューターは設計されている(らしい)。

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